2016年の大河ドラマは「真田丸」 倍返し!堺雅人はどんな真田幸村を魅せるのか?

ところで、あなたは真田幸村を知っていますか?

2016年の大河ドラマ「真田丸」。主役の真田幸村に堺雅人が選ばれたほか、その兄・信之を大泉洋が、徳川家康に内野聖陽、豊臣秀吉には小日向文世と続々とキャストが発表されています。

また、既知の通り、脚本は三谷幸喜。堺雅人の出世作ともいえる「新撰組!」でもタッグを組んでいた二人。

2015年度の大河ドラマは残念ながら苦戦中ですので、「真田丸」への期待は、局関係者もちろん視聴者もさらに高まっているようです。

ところで、真田幸村についてあなたはどのくらいご存知ですか?

戦国時代のクライマックスともいえる「大阪冬の陣・夏の陣」で一躍伝説の名称となった幸村について、3分でわかりやすく解説していきます。

2016年大河ドラマを今から予習しましょう。

真田家紋

なぜ、真田幸村は伝説となったのか

 

幸村が徳川氏に挑んだ戦いは、彼の死後、講談や物語として語り継がれ、さらに大正時代に生まれた小説「真田十勇士」などによって、いわば伝説化して現代にも伝わっています。

幸村という名で広く知られていますが、実は本当の名は信繁(のぶしげ)です。幸村とう名は、後の物語などで語られるうちに定着したものだと考えられています。

大坂の陣でみせた幸村の活躍は、「滅びゆく豊臣に味方し、徳川に挑んだ」ものですので、本来であれば、江戸時代には悪者扱いされたとしてもおかしくないのです。しかし不思議なことに、幕府はこの物語を特に禁止してはいません。

というのも、「最後まで主君に尽くす」という生き方を家臣の心得として世に広げるために都合がよかったとか、将軍家が自分の負け戦を誤魔化すために真田が名将であったほうが都合がよかった、などの理由があったといわれています。

 

関ヶ原の合戦で家康に最初の反抗。

信州・上田を本拠とする真田氏は、祖父の代から武田氏に仕え、数々の武功を挙げてきました。武田氏が滅亡すると父・昌幸は、織田、上杉、北条、徳川などの巨大勢力の間を目まぐるしく渡り歩き、その間、幸村を上杉景勝や豊臣秀吉の元へ人質として差し出しています。

そして最終的には 秀吉の傘下となったため、幸村は秀吉の下に留まり、秀吉の家臣・大谷吉継の娘を正妻に迎えています。

関ヶ原の合戦では、昌幸・幸村親子は西軍につき、上田城で西下する徳川秀忠軍を待ち受け、これを翻弄するのです。

しかし、西軍が敗れてしまったため、親子は高野山麓の九度山へ流罪となリました。数年後、昌幸が「近々関東から事が起こるだろう」と言い残して死去。幸村も、歯は抜け落ち白髪交じりで腰も曲がってしまったといいます。

九度山から大坂城へ

1614年、父の予言通りに徳川と豊臣が手切れとなりました。

幸村は勧誘を受け、九度山を脱出し大坂城へ入ります。

これを知った家康は「おやじのほうか?」と叫んだが、幸村であることを聞くと安堵したといいます。この時点では、幸村は父や兄・信之の名声の陰で評価が低かったといえます。

大坂城に入った幸村は、先制攻撃を提案するが受け入れられませんでした。

それならばと、城の唯一の弱点ともいうべき南側に出丸を設け「真田丸」と称します。

合戦が始まると、功名を焦った徳川の各部隊が真田丸に襲いかかりますが、幸村は相手を十分に引きつけて鉄砲や弓で迎撃。冬の陣最大の戦果を上げました。

これにより幸村の武名は知れ渡ることになります。

力攻めでは、城は落ちないと判断した家康は、城方に和議を申し入れ、その一方で、幸村の叔父の真田信昌などを使って幸村を勧誘しますが、幸村はこれを拒否します。

実は、死後に名声が高まる

翌年の夏の陣でも、真田隊は相手を翻弄していました。

すると徳川の各部隊は真田隊への攻撃を控えてしまいます。それを見た幸村は「関東武者は100万いても、男は一人も居ないなあ」と、徳川軍を嘲りながら堂々と撤収したといいます。

時間経過とともに、主だった武将が次々に倒れ敗色が濃厚となると、幸村はほかの部隊と一斉攻撃を仕掛けます。そして目の前の部隊を突破し、数回にわたって家康の本陣まで攻め込みます。真田隊の凄まじい攻撃に徳川の馬印は倒され、家康も自害を覚悟したといいます。しかし、最終的には数で勝る徳川軍に追い詰められ、ついには戦死しました。

薩摩藩主・島津忠恒(後の家久)が、後に国許に送った手紙には、次のように残されています。

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五月七日に御所様(家康)の御陣へ真田左衛門佐(幸村が)かかり候て(攻めかかって)御陣衆(本陣を守る部隊を)追ひちらし討捕り申し候(打ち取った)

御陣衆三里ほどづつにげ(3里ほど逃げて)候衆は皆々いきのこられ候(生き残った)

三度めにさなだもうち死にて候(真田は3度目の攻撃で討死した)

真田日本一の兵(武将)いにしへよりの物語にもこれなき由(昔からの言い伝えにもこれほどの武勇はない)

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死後に名声の高まった日本一の武将・真田幸村の一生が綴られる2016年の大河ドラマにぜひ期待したいと思います。

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